甲斐駒ヶ岳とは
甲斐駒ヶ岳は、山梨県北杜市と長野県伊那市にまたがる標高2967mの山で、赤石山脈(通称:南アルプス)屈指の名峰と言われている。
日本百名山、日本百景、新・花の百名山などにも選定されており、『日本百名山』の著者深田久弥には、「もし日本の十名山を選べと言われたとしても、私はこの山を落とさないだろう。」と絶賛されている。
〇〇駒ヶ岳という山は全国に18座あるが、甲斐駒ヶ岳が最高峰である。
南アルプスの山の中では例外的に、花崗岩で形成されているため、夏でも山肌が白く見えることから特に存在感のある山として、詩歌に歌われたり信仰の対象になってきた。
今回のルート
甲斐駒ヶ岳の主な登頂ルートは3つ。
- 北沢峠から稜線を登るルート
- 北沢峠から仙水峠を経由して登るルート
- 黒部尾根から登るルート
今回選択したのは、黒部尾根ルート。詳細は、ヤマップ活動記録を見て欲しい。↓
甲斐駒ヶ岳(黒戸尾根コース、テント泊) / ともがらさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
黒部尾根ルートは、標高約770mの登山口から山頂2967mまで登る、縦に約2200m横に約9㎞の行程で、日本三大急登に数えられているガチでキツいコースである。
ちなみに、北沢峠のスタート地点は標高2032mである。そのため、登頂のみが目的の場合は北沢峠ルートを選ぶ登山者が多いとのこと。
2600m付近からは高山病の恐れもある他、「刃渡り」や鎖場に加え、八合目以降は滑落死亡事故が多発している危険箇所が複数あるなど難易度は決して易しくない。
ただし、伝統的に登られていたルートである事や、山小屋から山頂への距離が比較的短い事、バスの時間が早い事なども重なって、人気は高いルートらしい。
登山を決めるまで
今回の登山は、本物の雪山登山を体験したいという気持ちから始まった。
以前、赤城山に登った際に雪山の美しさに感銘を受けたが、比較的易しい山であったため雪山の険しさを体感するには至らなかった。
『メル―』や『神々の山嶺』で観たようなアルパインクライミングの世界に憧れを持ってしまった僕は、険しく美しい高山に登りたくて堪らなかった。
今までは、限界を感じるようなレベルの登山はせず、安全で楽しい登山をしてきたが、自分の限界を知りたいという気持ちが抑えられなくなってきていた。
まだ数回だが、きちんとした登山経験を積んで、自分のしたかった登山に足を踏み入れる自信がついてきたのも大きかったと思う。
何より、時間と体力に余裕がある今のタイミングで挑戦的な登山をしなければ、絶対に後悔すると思った。
それで、真っ先に思いついたのは富士山と北アルプスだった。
ただ、富士登山は手垢が付きすぎてる感じがしたのでやめた。北アルプスは遠かった。
東京から比較的近くて険しい山として、南アルプスが候補に挙がり、南アルプスの山々を調べていて甲斐駒ヶ岳に魅入られた。
登山前
登山で一番のハードルは「登るために何が必要か分からない」だと思う。
ピッケルと12爪アイゼンが必要な事は知っていたけれど、どういう物を買えばいいのか分からないし、無ければ登れない物とあった方が登りやすい物の区別ができない。
ヤマップやヤマレコの活動記録や、七丈小屋(黒部尾根の山小屋)のWebサイト、管理人である花谷泰広さんのTwitterなどから情報収集しまくって、どういう危険が想定されて、それを避けるためにどんな道具が必要かを判断した。
今はネットで調べられるから良いけど、昔はこういう情報収集にどれだけ手間が掛かったかと想像すると、壮年の登山家達に畏敬の念すら感じる。
なんか登山を始めてから前世代への敬意が強くなった気がする。ほんとすげぇ。
何とか必要な物をリストアップできたら、あとは揃えるだけなので簡単。
財布と相談する大変さはあるけど、天下のメルカリ様のおかげで、アイゼン5000円、ピッケル8000円で済んだ。
どちらも、ほぼ新品なのにめちゃめちゃ安い。(定価なら20000円超えてた。)
登山やってる先輩とかがいたら道具借りたり、おさがり貰ったりできたのかな。
さて、さらに今回は小屋泊ではなくテント泊。
小屋泊10000円の所がなんとたったの1000円で済むとの事で、テント泊デビュー。
父親が結構アウトドアをしていた人なので、テント泊に必要な装備とかは拝借した。今までも、バーナーとかメスティン、ストックとかも借りてたし、親が道具を持ってるってのは本当に恵まれてると思った。
古い道具だから嵩張るし、重いし、機能性低いしで大変だったのは、後の話。
道具の準備が済んでからは、天気予報と睨めっこして、遂に決行日3月30日を迎えた。
↑前夜 今回のシェルはスキーウェア
出発~登山口
東京の調布ICから高速で約70分、須玉ICで降りる。瑞牆山の時と同じIC。
地図上では瑞牆山・金峰山や大菩薩嶺などの山の方が近いのだが、甲斐駒ヶ岳の駐車場である尾白川渓谷駐車場は須玉ICから近いため、所要時間は今回の方が30分以上短かった。
道中にコンビニは一件だけ。デイリーヤマザキがあるので、朝ごはんと食料を補給して駐車場へ。
この時点で、前日眠りが浅かったのか、少し頭がぼやけている事に気付いた。少し不安を感じつつも、体調不良でもないので決行。
GoogleMapのタイムラインでは、調布ICを5:54に出発し、尾白川渓谷駐車場には7:40頃到着している。
朝早くで空いているとしても、想像以上に近くて驚いた。インフラを整えてくれた先達に感謝。
↓道中の釜無川ポケットパークから望む南アルプスと甲斐駒ヶ岳(写真右側)
尾白川渓谷駐車場
トイレは有る。綺麗。
開いていなかったが売店などもあった。シーズン中は賑わいそう。
着替えと心の準備を済ませる。
ザックにヘルメット・ゴーグルを吊り下げ、カメラは入りきらないので斜め掛けで登る。今までと比べ物にならないほど荷物が重い。(約20㎏)
コダマもどきと写真を撮って、登山届を出し、いよいよ出発。
竹宇駒ヶ岳神社
神々しい雰囲気のある神社だった。
「お邪魔させて頂きます。」と参拝。
雪崩事故がほんの10日前に起きたと聞いてたから、神頼みしたい気分だったのかもしれないけど、何故かその時はすごく「礼を失してはいけない」「怒らせてはいけない」と思ってた。
そうさせる何かがあったのか、単にビビってたのか。
尾白川渓谷~笹の平~刃渡り
吊り橋を渡って登山道に入る。序盤から急登。
足場の悪い森の中をひたすら登っていくこと90分。
心をへし折りに来る看板に遭遇。その名の通り笹が広がる場所を、ひたすら歩く。
標高1600m辺りから雪が出始めた。雪の状態はサクサクしてて、チェンスパすら要らない感じ。
スタートから3時間弱、標高1900~2000m辺りで、怖いと噂の「刃渡り」に到着。
険しく見えるけれど、登ってみると大したこと無い。特に足場が狭かったりする訳でもなく、鎖も安定してるので、ここは問題なくクリア。
ガスが出てて、見晴らしが悪かったのがむしろ良かったのかもしれない。
刃渡り~七丈小屋
刃渡りを超えてから、雪が本格的に付き始めたけど、まだ登山靴で余裕な感じ。
↑を過ぎて少し歩いた辺りから、一旦下りが始まる。
一息つける嬉しいポイントだったけど、帰りではヘロヘロな体で登り返す羽目になるから結構キツいポイント。
↑遥か先に見える甲斐駒ヶ岳山頂(たぶん)
ラスボス感が漂ってて、やる気出た。
またなんかあった。石碑の数が凄い。
古くから信仰の対象だったというWikipediaの説明を思い出した。
↑を過ぎると、梯子(はしご)と鎖場の連続。
確か、この辺りでアイゼンつけた。
梯子は登りづらいけど、梯子から梯子に移る間の斜面が凍ってる可能性もあるから、石碑の辺りでつけるのが良いと思う。
梯子は景色が高いから下見ると足が竦むし、アイゼンが引っ掛かりそうなのが怖かったけど、まあ梯子は梯子だし難しくはない。
景色も良いし、アスレチックみたいで楽しかった。
とかやってるうちに、七丈小屋に到着。標高は約2400m。
時間にして280分、標高差1700mに渡る今日の行程が終了した。
テント泊
テント泊の受付をして、コーラ(\500)を購入。テントを張りに行く。
テント場は小屋から少し登った所にあって、この間が雪深くて歩きづらいから大変だった。
より山頂に近い第2テント場にテントを設営して、ようやく一息つく。
昼ご飯を食べて、テントからの景色を眺めながらコーラで乾杯。
疲れた体にコーラが効くぅー!
マット敷いて寝袋に入ってると一気に眠くなってきたが、着いたのが13:44と早かったので、写真撮ったりゴロゴロしたりしてもまだ15時。
暇つぶしがてら、少し上の状況を見に行く事にした。
テント場の景色は東向きだったので、少し登れば夕焼けが見れるかもしれないという期待もあった。
ここで初めてのピッケル登場。
翌日に備えて使用感を確かめつつ、滑落停止の練習なんかもしながらのんびり登る。
…はずだった。
いや、くっっっっっっっっっそしんどい。
トレースはあるのに、足を踏み込むと雪がずぶっと沈むから、一歩一歩が物凄く重い。
標高2500m辺りだったし高度順応出来てなかったのかもしれないけれど、とにかく辛かった。
息は切れるし、足は重いし、雪は崩れるしで10歩に1回くらい休んでた。何とか稜線に出たところで、風は強いし、雪崩が怖いし、ヤマップ開いたら全く進んでないしで、完全に心が折れた。
一応、景色は良かったので、それを戦果と言い聞かせて引き返す。
翌日が少しでも楽になるように、しっかりトレースを付けながら帰ろうと思っていたら、別のトレースを追っていて少しだけ道を逸れてしまった。
そこで、↓を見つけた。
行きには気付かなかったが、登山道の横道に勇者の剣みたいのがあった。
この存在は全く知らなかったが、山頂の手前に二本剣(にほんつるぎ)という名所があるから、これは一本剣(いっぽんつるぎ)とかだろうか。
なぜ剣なのかは分からないが、カッコイイのでよし。きっと、カッコイイからだろう。
さて、テント場に戻ったら、すぐ夕飯の準備をすることにした。
水と酒の調達+トイレのために七丈小屋へ。
雲海が出ていた。間近で見ると迫力が凄い。
そしてその帰り、ある事に気付く。
第1テント場の方が眺めよくね?
たぶん鳳凰山とか辺りの山が見えた。第2テント場まで上がると山肌で隠れるから、せっかくなら第1テント場で夕飯が食べたいと思い、テントを移動。
めんどくさかったので、重い荷物だけ先に動かして、テント型のまま斜面滑らせて移動させたら意外にも成功した。
ただ、移動のせいで辺りが暗くなり始めてしまった。
良い感じの写真を撮るはずが、シャッター速度下げざるを得なくなってブレブレに。(左)
こういう時にスマホは強い。(右)
過酷な山だけあって、天候に恵まれているにも関わらず、テント場に登山者は自分だけ。
南アルプスの絶景を肴に、南アルプスの綺麗な水で作られた日本酒を飲む。
最高の贅沢たぁこれのことさ。
金かけるばかりが贅沢じゃねぇってはっきりわかんだね。
と、まあ、ここまでは良かった。
ここからが地獄。
19時くらいには寝袋に入って落ち着いたと思う。ただ、落ち着くと寒い。
冬テントの王道ではあるが、寒すぎた。
今回のテント泊装備は物によっては数十年物だったりする。
もちろん点検はしたし、試しに使ってみたから大丈夫なはずだった。
なのに、マットが壊れた。空気で膨らますタイプのマットだったんだけれど、空気がどんどん抜けてぺらっぺらになった。
このタイプは空気の層が保温してくれるから、空気が入ってなければただの紙同然だ。
直に雪の温度を背中に感じながら寝るのは、どう頑張っても無理だった。
寝て30分くらいで寒さで起き、そこからは寒さとの戦いだった。最初は寝袋にカイロを入れたり、タオルを敷いたりして何とか寝れた。
でも、30分も経たずに寒さで起きる。
起きると、背中が冷たくて耐えられない。
活動してた方が楽だと思い、起きて動き回ってみたり、エマージェンシーシートに包まってみたり、バーナーで暖を取ってみたり、ペットボトルにお湯入れて湯たんぽ作ったり、熱々の紅茶やコーンスープを飲んだり、思いつくことは全て試した。
結局、合計で2時間も寝ていないと思う。ひたすら寒さに耐えながら時間が過ぎるのを待つ地獄のような一晩だった。
その中で、山頂アタックは日の出前に行うと決めた。
山頂でご来光を拝むとすれば、3時頃に出発しなければならない。出発できるのだ。
テント内の気温は氷点下10℃を下回っていて、テントの内側には霜が降り、ペットボトルの水は凍り付き、水を拭いたタオルはカチコチの凶器と化していた。
ここまで来ると、テント内に留まっているよりも、外で活動していた方が楽だ。
一分でも早く出発したかった。
3時出発を決めた後は、もうガスが切れても困らないからと、窓を開けてテント内で火を焚きまくっていた。
出発する時、足の指の感覚はもう無くなっていた。
山頂アタック
まあ足は凍傷とか深刻なレベルの話ではない。素手で雪遊びした後とかに手の感覚が無くなるあの感じだ。暖を取ってすぐ回復した。
ただ、靴が凍っていて履くのに苦労した。加えて、がっちり凍ってるものだから弾性が失われてて足が痛いし、冷たすぎて足が痛い。
足が痛い理由がどちらなのかも分からないくらいで、動き出しても結局地獄には変わらなかった。
ただ、楽になった事もあって、気温が低いおかげで雪が締まってとても歩きやすかった。前日みたいに足が沈む事もなく、アイゼンがしっかり効く良い雪の状態だった。
そのおかげで、序盤の急登は前日より体力的には楽に登れた。
山頂アタックには、最低限の水や行動食と緊急用のセットだけ詰めた小さなザックとカメラだけしか持っていかなかったのも大きかった。
カメラを除けば1㎏にも満たないくらいで、前日の20㎏との差は歴然。疲れは取れていなくても、足取りはだいぶ軽くなった。
ただ…
ヘッドライトの灯を頼りに歩いて行く。本当の暗闇。
本能的な恐怖が押し寄せてきて、おかしくなりそうだった。
新しく買ったバラクラバや、初めて見せ場を迎えるであろうピッケルの事を考えて無理やりハイテンションを維持して登った。
後ろを振り向くと綺麗な夜景が広がっているけれど、それが遥か遠くにある事が実感できて余計に寂しくなった。
湧き出してくるネガティブな感情に飲まれたら本当にやばいと思ったので、感情から全力で目を逸らしてひたすら登りに集中するよう心がけた。
↑八合目 御来迎場
そうしてしばらく登ると、危険箇所に辿り着いた。
↑ 下山時に撮った写真
これは写真では伝わらないと思うけれど、どこも一歩足を滑らせれば数十m~数百m転げ落ちるであろう恐怖ポイントだ。
しかも、写真のように明るくはない。真っ暗でライトが無ければ何も見えない状況。
左上の看板には、「この先の急な斜面で下山時に滑落死亡事故が多発しています。大切な人の顔を思い出してください。そして一歩一歩落ち着いて、確実に下山をしてください。」と書いてある。
登山時には「ここから頂上までの間で滑落死亡事故が多発しています。御自身の経験、現在の余力、天候をいま一度ご確認の上、頂上を目指すか引き返すかの判断をしてください。」という看板があった。
物凄く怖かった。怖さのあまり看板を読んだ後、一度立ち止まってしばらく考えた。
その上で自分は登頂できると判断したが、もし天候が悪かったり、体調が優れなかったりしたら、その看板を見て引き返したと思う。
険しいのに登山道がよく整備されている事もそうだけど、甲斐駒ヶ岳の管理者は本当に素晴らしい。
この看板のおかげで落ちずに済んだ!ってなる人はいないだろうけど、こうした努力は確実に誰かの命を救っていると思う。
それはいいとして。
実際まじで怖い。暗闇の怖さではない。落ちたら死ぬっていう別の本能的恐怖。
でも要は、落ちたら死ぬけど、落ちなければ大丈夫ってこと。
焦って大股に動いたり、無理な態勢を取ったら落ちるかもしれないけれど、一歩一歩確実に動けば大丈夫。
ステップはできているけれど、ステップに沿っていくと難しい場所がいくつかあった。そういう時は、頑張れば行けそうだったとしても、雪を蹴り込んで自分の動きすい新しいステップを作ってから動くようにした。
ピッケルも支点確保や足場作りにとても役立ったので、きちんと予習しておいたのは正解だった。
そして、危険箇所を乗り越える度、空は明るくなっていった。
危険箇所を無事に登り切り、山頂が見えてからも長かった。
トレースはあるが踏み固められてはいないため、一歩一歩が重い。
前日の比ではない。
数歩登るだけで息切れがして、何度も立ち止まった。
きちんと休む事もできず、膝立ちから崩れ落ちて頭を斜面に預ける土下座のような態勢のまま数分間休んだりもした。
頭に靄がかかったような状態で、ひたすら登り続けた。
今考えれば、軽度の高山病だったのだろう。ただ、その時は何もかも分からず、ひたすら息を切らしながら登り続けた。
クライマーズハイにもなっていたと思う。記録を見返したら標高2700mを過ぎた辺りから約1時間、一度も休まずに登り続けていた。
ゆっくりではあるが、立ち止まらずに一歩ずつ進めていたのだろう。
意識していなくとも、山頂は確実に近づいていた。
甲斐駒ヶ岳 山頂
テント場を出発してから約2時間、登山口を出発してから21時間、
ついに山頂に!
立った!
疲れが吹き飛ぶ。さいっっこぉぉぉぉおおおおおーーーーー!
精神的にも肉体的にもキツかったけど、間違いなく人生で最高の景色だった。
山頂で撮った綺麗な写真たちは、まとめて最後に載せます。
山頂にあるものは、この2つくらい。
あとは、見渡す限り絶景。絶景。絶景。どこ見ても絶景。
寒いのとかお構いなしに、手袋とヘルメット外して山頂の空気を全身で感じてた。
山頂は完全に独り占めだったので、景色撮ったりやまびこしたり自撮りしたり、
こんな写真も撮ったり。一通りはしゃぎ回りました。
今までで一番の山だった。
この景色はずっと忘れないと思う。
下山(山頂~テント場)
「行きはよいよい帰りは恐い」
山頂付近は、雪が深いし斜度もきつくなかったから滑落の心配は無く、ノリノリのまま下れた。
下り始めた途端、以前痛めてた膝が悲鳴を上げ始めたから、トレース崩して申し訳ないとは思いつつ出来るところは尻セードで下った。
ただ、危険箇所はそうもいかない。
「この先の急な斜面で下山時に滑落死亡事故が多発しています。大切な人の顔を思い出してください。そして一歩一歩落ち着いて、確実に下山をしてください。」
例の看板を見て気を引き締め直す。
登りの時ほどの恐怖心は無くなっていたけれど、やはり危険なことには変わりない。
バックステップで確実に一歩一歩下山した。
登りよりも下りの方が、積極的に蹴り込んで動きやすい足場を作るようにした。
明るくて先が見渡せるからか、それとも一度通った道だからか、登りで怖かったり難しく感じた場所も下山では難なくクリアできた。
そういうものなのだろうか。
危険箇所を過ぎてからはもう「足きつい足きつい足きつい」が頭をぐるぐる回ってて、気づいたらテント場だった。
そこで紅茶を入れて、ほっと一息。
「生きて帰って来れた…。」と本気で安心した。
寒すぎて気が弱ってたからという事にしておいて欲しいのだけど、実は、昨晩の震えてる最中に、万が一のためにテントの中で遺書を書いていた。
遺書といっても、スマホの分かる場所にメモとして残しただけで、簡素なものだけど、万が一でも、億が一でも、もし一を引いてしまったらどうするか想定しないで進む事はできなかった。
一を引く事が怖いというより、一を引いた時にそれを想定していない事の方が怖いと感じるのは異質だろうか。
まあともかく、山に登ってたらいつか一を引くかもしれない。そういう心構えが今回の登山で固まった。
その上で、もっと山に登りたい。もっと険しい山に登りたいと思う。
いやぁ重症だ。
下山(テント場~笹の平)
まあともかく、下山。あとは怖い所はない。足腰を痛めないように慎重に降りるだけだと、そう思っていた。
登山中、小屋までの道のりで1ヵ所だけ怖い鎖場があった。その鎖場を降りようとしている時。
どうも足場がうまく決まらず、最後の一歩が出せないでいた。安定した足場はもう10㎝ほどで届く上に、鎖も安定している。両手で鎖を掴み、少しの間だけ足を浮かせれば難なくクリアできるように思えた。
両足を放す事に若干の危機感を覚えながらも、鎖も丈夫そうだし大丈夫だろうと自分に言い聞かせて、全体重を両手でホールドする鎖に預けた…。
その瞬間。
パキリッ!と乾いた音が響いた。
何か硬い物が剥がれたような、そんな音だった…。
それに気づいた瞬間、僕の視界は、遥か眼下に吸い込まれていった。
そう。滑落したのだ。
カメラのレンズカバーが…。
黒く薄い円盤状の物体が、カメラから剥がれ落ち、岩肌を縫うように滑っていった。
それは何度も体を岩や木に激しくぶつけながら、減速することなくそのままの勢いで谷底に消えていった。
やっちまった…。
勢いがついた拍子に、斜め掛けしていたカメラが振り回されて岩にぶつかり、それが丁度レンズカバーの開閉ロックを解除する場所に当たり、かつレンズを引きはがす方向に力が働いた結果、上手い具合にカバーが外れたのだ。
強くぶつけた訳ではなかったし、簡単に外れるものでもない。
ここで僕は、万に一つを引いてしまった。
それが幸か不幸か、カメラのレンズカバーで起きた。
この失敗を噛みしめて下山した。
下山(笹の平~尾白川渓谷駐車場)
帰りに見る景色は、行きよりもしょぼく見えた。
だけど、行きよりもしんどかった。
景色を楽しむ余裕がないくらい疲弊していたし、特に、前屏風ノ頭(約1800m地点)辺りからは、膝が悲鳴を上げて泣き叫んでいた。
以前痛めたのは左膝で、今回は予めサポーターを付けて負担がかかり過ぎないように注意していた。
哭いていたのは、右膝だった。
左膝を庇いすぎたのだろうか。何かの拍子に痛めたのだろうか。何故こんな事に。後1000mなら何とか降りられるか。休みたい。早く降りたい。お腹減った。だるい。眠い。痛い。きつい。
頭の中をぐるぐると、思考と呼ぶにはお粗末な感情が巡った。
トレッキングポールを最大限使いながら、スローモーションのような動きで、膝の爆弾に少しの刺激を与えないように細心の注意を払いながら、下り降りた。
長かった。
実は、小屋を出るタイミングで既に食料が尽きていたのだが、昼までに下山できるから大丈夫だという判断で、食べ物を購入しなかった。
そのせいで、はっきりとエネルギー不足にも陥っていて、色々な面で限界だった。
ただ、それに関してはちょっとした奇跡が起きて解決した。
心がバキバキに折れてゾンビみたいな足取りで笹の平を下っていた時、足元に一瞬真っ赤なものが見えた気がした。
明らかに自然界に存在しない色のそれは、笹の葉に覆われて僅かな隙間から覗くだけで、普通のスピードで下山していたら見落としていたように思う。
それは、個包装のキットカットだった。
天の恵みだと思った。迷わず食べた。
袋も空いていなかったし、汚れてすらいなかった。
恐らく、その1時間ほど前にすれ違った夫婦が落とした物だと思われる。
それを食べて気力を取り戻し、何とか地道に下る事ができた。
そこからも90分の道のりだったから、キットカットが無ければ耐えられなかったと思う。
自分は土壇場でツイてる。運に恵まれている。
竹宇甲斐駒ヶ岳神社で神様に感謝して帰った。
尾白の湯
恒例の温泉。耐えきれず、温泉入る前にアイスを食べた。
こんだけ疲れていれば、温泉は最高だろうと思っていたんだけれど、意外とそうでも無かった。
発見。
疲れすぎていると、温泉に浸かるのがしんどい。
温泉に浸かる体力すら残ってなかった。少し入っただけで気絶しそうになった。
半身浴とかベンチでぼんやりするのを多めにして、気力はいくらか回復したけれど身体はだめだった。
どちらかと言えば、身体は休養よりも栄養を欲していた。
温泉の休憩所で、味噌かつ丼と山賊焼きを食べたら元気が戻った。がっつり二人前だったが、ぺろりと行けた。
尾白の湯のご飯は、値段も高くないのに凄く美味しかったので、絶対食べた方が良い。おすすめ。
温泉自体もすごく良い所だったから、満足に楽しめるコンディションでまた来たい。
あとは、デイリーヤマザキで買ったコーヒー注入して、眠気と戦いながら帰った。
感想
日本三大急登の名を冠しているだけある。
確かに、体力的にも精神的にも追い詰められた苦しい登山だった。
でも、それ以上に楽しかった。
膝の痛みは洒落にならなかったけれど、それ以外は、寒すぎて寝れなくても、息切れして苦しくても、恐怖で足が竦んでも、一瞬たりとも嫌になる事はなかったし、むしろ清々しい気持ちだった。
数日経って辛かった記憶を忘れているのかもしれないが、それだけじゃない。
山に登っている時、人は自由だ。
何かに強制されている事はなく、進退も自分の気持ち一つで決められる。
自由で、自己責任。
死んでも文句は言えない。
それが心地よかった。
普段僕らが生きている社会は、雁字搦めで窮屈だけど案外優しくて、何をするにしても誰かが責任を肩代わりしてくれたり、自分がミスしても誰か余裕のある人が補ってくれたりする。
それがめんどくさい。
どう生きても誰かしらには迷惑をかけてしまうし、「勝手にやるから放っておいて欲しい」とは言えないくらい自分の生活は誰かの努力で成り立っている。
登山も勿論そうなんだけど、登山中はそういう事を忘れさせてくれる。
山と対峙している時、そこには自分しかいない。
それが最高に気持ちいい。
普段、わりと社会的に良いとされる生き方を全うしている反動かもしれない。
自分語りになってしまった。
ともかく、甲斐駒ヶ岳はそんな事を感じるような険しい山だった。
雪山慣れしていない自分だから、こんな壮絶な感想になったのだろうが、残雪期だったこともあって、実際リスクは高かったと思う。
でも、それ以上に、とても美しい山だったから、また来たいと思っている。
次来る時までには、余裕を持って楽しめるくらいの実力を身に付けておこう。
写真たち
さいごに
駄文に付き合ってくれてありがとう。
これは日記みたいなものだけど、誰かが読んで、参考にしてくれたり、楽しんでもらえたとしたら、とても嬉しい。
また、少しでも登山や甲斐駒ヶ岳の魅力が伝えられていたら、さらに嬉しい。
今のところ次に登る予定は決めてないけど、すぐに思い立って登ると思う。
人口登攀にも興味が向いてきたから、そういう方面での記事も書くかもしれない。今はそんな感じ。
では、良き登山ライフを。
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